報恩感謝
花と桶を持ち、墓所に向かう.石塔の前で花を開き線香に火をつけながら思いは亡き人へと漂っていく。
もう一度言葉を交わしたい、手を握りたい、一緒に笑いたい。
一緒に泣きたい。時々の喧嘩の気まずささえ、今は懐かしいでしょう。
でも、逝ってしまった人はもう戻ることはない、遺された人は何を思いどう過ごせばよいのか。
ある老師は「私たちが、亡き人に何かを期待するのではなく、亡き人が、私たちに何を期待しているかを考えなさい」と申されました。
亡き人や祖先の期待にどのような生き方をすればいいのか自問し心にとどめ置くことが遺された私たちの日々の心の姿勢ではないだろうか。
亡き人は何所へ行ったかお釈迦様は、その問いに対して『無記』と言う態度をとられお答えにならなかったのであります。
語りつくす事の出来ない事について答える事をなさらなかった。そのような事より『よく生きる』事に専心すべきだと説かれました。
心の中に生かした亡き人が私達に何を期待しているか思いを廻らせ,其れに応えて生きていく事は
報恩行『生かされている自分に感謝し日々の行いがそのままありがとうと言われる行いをする事』に繋がっていくものだと思います。
仏祖・祖先亡き人の思いを心の中で生かす事を考えて観てはいかがでしょうか。
耕道 合掌